2014年9月24日水曜日

花が咲く (2014/9/24)

なるちゃんチームのダンサーのみなさんと一緒に作業。今回は木村作品、斉藤作品の二作品と演目は分かれていますが、ひとつの公演を共につくるメンバーとの交流はとても大切な時間。プライベートな話から、踊ることについて、作業しながら話に花が咲きました。個人的なことですが、上京してほとんど知り合いがいなかった自分が、ダンスを通して色々な方や場所と出逢えることは とても幸せなことだな〜と実感しています。

みに来てくださる方になにかを残したくて、みんなで動いております。


近くの商店街では、おいしそうなものがありすぎてあっちこっちに寄り道し、なかなか進めませんでした。お店のお兄さんとの何気ない会話もちょっと嬉しい私です。揚げ物たらふく食べました!



まだまだリサーチ、制作つづきます。
きっと本番の瞬間まで。いや、終わっても、ずっと。私の中での東京が少しずつ、変わりつつあります。


2014年9月20日土曜日

ひとつひとつ (2014/9/21)

本日はもう1人の振付家なるちゃんこと斉藤成美と共に照明仕込みをしました。慣れないながら、ひとつひとつ作業をしていくことで、また空間をいっそう愛おしく思ったり知ることができて 面白いです。


お互いの作品のことも話したりして、こういう時間がとても大切だな〜と感じました。

安心できて居心地のいいこの場所が1週間後にはお客様も入り、公演の場所になります。独特の緊張感や、空気を想像しただけでも胃がキューとなりますが、どうあがいてもその瞬間は訪れるので、その瞬間にどうお客様とともに過ごせるのかを最後まで考えつつ、ダンサーとして一生に一度しかない瞬間をどう過ごすかも自分次第。自分と闘います。

明日9/21 15時からはyahiro8さんの藝とスープというイベントにも参加させていただき、色々お話したり9/26,27の公演のワンシーンを実験してみようとも思っています。お近くの方も、そうでない方もこの機会に是非八広にお越しください。

http://yahiro8.seesaa.net/s/article/405687307.html


リサーチ、稽古まだまだ続きます。

2014年9月18日木曜日

ジェンガ (2014/9/18)

本日八広はいいお天気。
ホームに降りたら必ずここからのこの眺めを楽しみます。橋を通る車と雲だけが動く景色は本物のようでなんだか本物でないよう。


1時間yahiro8に身を置いて過ごしました。私のここでの思い出がいくつかあります。上京して1年程たったあの日、私ははじめてyahiro8を訪れていました。そして大きな地震がやってきて、みんなで向かいの駐車場で肩を組んで耐えたこと。帰れなくなった私は一晩泊めていただきました。そのときのラジオの音や、歩いて帰る人たちの足音、いまでもよく覚えています。そしてその年の8月、彼女の読み方というダンスの企画でソロを踊らせていただきました。東京での初めて自作自演でした。そしてそれから3年、今またここに居ます。だからなんだよって感じですが、今日はそんな軌跡を考えながら動きました。


喉が腫れた私にビタミンとお饅頭のお土産をいただきました。ありがたいです。八広の路地を食べながら歩いていたら迷いました。笑。

学校の隣に工場。とにかく色んなものがとても近い。病院、学校、民家、工場などがとてもとても近い位置で共存しています。なんでかジェンガを連想した私です。

そして初めての喫茶店へ。


さあ、薬も飲んだしお腹も満たされました。ご馳走さまでした!
また作品のことを考えながら帰り路につきます。

リサーチはまだまだ続きます。


2014年9月13日土曜日

ケセラセラ (2014/9/11)

私の住まいは東京の西のほうなので、今回の公演の会場であるyahiro8まで1時間半くらいかかります。何回も往復しているうちに、この電車は先頭車両に近いほうが乗り換えが楽とか、曳舟駅で地下鉄が地上に出る瞬間を見逃さない!とか、色々な気づきやルールが自分の中で生まれています。面白い。

先日、稽古の帰りにyahiro8近くの茨木屋さんという酒屋さんへお邪魔しました。お店の中にテーブルがありお酒を購入して飲むことができるようになっています。常連さんがたくさんいらっしゃると聞き、伺うと、すでに楽しい会は始まっていました。私もビールを購入して輪に参入。お料理は皆さん持ち寄りなんだそうです。


ダンスをしていることや、yahiro8で今度公演させていただくこと、青森出身であることなどを話し、なんとなくみんなが私のことを把握して、そして皆さんも出身地の話や昔の八広の話をはじめました。驚いたのはどこの誰だかわからない私を許容する(実際はわかりませんが私がそう感じた)早さ。なんだろうこの感じ。


前回のブログにも書きましたが、八広を通して東京を地方として捉え直した私ですが、ここで、都会感を感じたのです。都会感といっても、ビル!人!冷たい!とかそういうことじゃなくて、いい意味で、独立していて、来るものを拒まない感じというか、みんな本当の大事な部分は見せなくても、なにかお互いにそこに居てもいいんだよと言いあっているようなそんな感覚です。深入りしないけど、でもそばに居させてほしい。そんな感覚。

こんな場所が家の近所にあったらなんて良いんだろうと思いました。ただの飲み会ではなく、そこに集まることに意味がある。いつもの仲間に会いに行く、その空間に、その雰囲気に会いに行く。そして生きる力をもらうんだと思います。

昔の八広のお話も聞きました。
八広は革の製造、加工などが有名で、その作業場や工場が昔は今よりもたくさんあったそうです。革をつくる皮を剥いだ後のにおいがして、また道の側溝はあぶらだらけだったとか。あぶらがたくさんあったので、石鹸工場もたくさんあったとのこと。

 その時代に若者だった先輩方がバリバリ働く姿、八広の町の風景を、その時代生まれていなかった私は、ひたすら想像しました。

そんな先輩方から感じたこと。

ケセラセラ。
明日は明日の風が吹く。
そして、時間は確実に進む。


この月下美人のように、色々な感覚をそのまま自分の中に残しておきたい。そう思う夜でした。

2014年9月8日月曜日

東京の捉え方 (2014/9/7)

上京して5年。
東京で初めてお祭りへ。
墨田区文花にある香取神社はとてもとても賑わっていました。小、中、高校生たちも多く、みんないつもよりちょっとおしゃれして、好きな子を探しているような、ちょっとソワソワしてるような雰囲気。あー、この感じなんだか懐かしい。

地元の人たちが多いんだろうなーと感じました。みんなとても自然体で無理がない。気張ってないのです。
まわりの標準語を津軽弁にしたらそこはもう青森の祭りと一緒だなーと思いました。

東京なのに地方みたいな感覚。

この捉え方は私にとってとても大きなことのように思います。
東京というと、人がいっぱい、ビルがいっぱい、いわゆる観光名所的な場所を思い浮かべることが多かった私。5年住んだ今、やっとちらほら自分の落ち着く場所を見つけたり、普通に民家が立ち並び、神社があり、祭りがあり、そこで暮らしている人たちの生活が淡淡と行われているということが実感できるようになりました。

そこにある生活、人生を八広ではたくさん感じています。

祭りでは、イカ焼きに舞、歌を楽しみ、そしてもう1人の振付家なるちゃんこと斉藤成美の金魚すくいを全力で応援しました。連れて帰った2匹をひでお(大きいほう)、かずこ(小さいほう)と命名。ひでおとかずこには自作品に出演オファー中です。








リサーチは続きます。


2014年9月3日水曜日

八広を歩く そして 触れる (2014/9/2)

八広を囲む曳舟川通り、明治通り、中居堀通りを歩く。

曳舟川通りは、その名前のとおり昔は川が流れていたが、昭和29年頃から埋め立てられ、その面影は名前として残りました。そして今は小学校や特別支援学校がある場所は原っぱとミツワ石鹸工場があったそうです。今の地図に昔あったものを書き込んで、そして歩いてみる。そうすると不思議に今はただの道なのにそのちょっとしたカーブは川の流れで出来上がった自然な形のように見えてくるし、学校のグラウンドは昔のこどもたちも遊んだ原っぱに見えてくるから不思議。


ここは明治通りと中居堀通りがぶつかっている三角地帯。この三角の内側が八広です。

そして、3月もインタビューさせていただいた町工場を経営されている吉成さんと再びお話。色々お話していくうちに、お互いの好きな曲を聞かせ合う会に発展。吉成さんはレコードで、私はiPhoneで、お互い少し自分の好きな曲を紹介するのですが、これが少し恥ずかしい。吉成さんにはガンガン好きな曲聴かせてくださいよーと言っていた自分もいざ自分の番になるとモジモジ。 きっとたくさんたくさん話すより、自分のことを知られてしまうようなそんな気持ちがするからでしょうか。吉成さんの青春時代(70年代)の歌がとても素敵で、そして先日実家に帰った際にも70年代の装苑(雑誌)を見つけて、すごい新しいと思ったことを思い出しました。吉成さんはいまの若い人が70年代にいたらとても刺激的なんじゃないかとおっしゃっていました。たしかに。私も行ってみたい。


そしてその後迂闊にも腹痛を起こした私を、車で友人の家まで送ってくださいました。そのとき、
なんだか八広の道が急に自分の地元の道のように感じました。またひとつあの感覚をとっておけるなら形にして残しておきたいと思った2014年9月2日。
吉成さん、本当にありがとうございました。

プロジェクトを通じて出逢えること、知ることのなかった音楽や色んなことを知れることが私たちの仕事のとても大きな財産と思います。

八広という地名は「八方広がり」を縁語として、町がより一層発展するように名付けられたものだそうです。そんな八広で、自分ができることはほんとに一瞬でとても小さなことだけど、何かを残したいと思いました。

リサーチ、制作は続きます。